刑法の国際化過程における規範論のポテンシャル (2022年9月8日−10日、於コンスタンツ)

会議報告書も参照のこと: Jakobi, JZ 2023, 608

 規範論ワーキンググループの第3回研究会は対面形式となり、刑法の国際化過程における規範論のポテンシャルをテーマとして、 Liane Wörner、 Stefanie Bock、 Svenja Behrendt 、 Laura Neumannの4名の主催で、2022年9月8日から10日にかけてコンスタンツにて開催された。ワーキンググループのメンバーのほか、ゲストとして明治大学(東京)の 川口浩一 (Hirokazu Kawaguchi)、イスタンブール大学の Adem Sözüerを迎えて議論が展開された。

 2022年9月8日の夜に行われたオープニング・レクチャーでは、 Stefanie Bockが、刑法の国際化における規範論の重要性を包括的に論じた。 Bockは、グローバル化は犯罪の越境化を伴い、その結果として各国が連携して対応する必要性が生じることから、刑法に直接的な影響を有するとする。連携した対応が必要となる分野には、各国における国内法上の刑事規制の統一化、国際司法共助、刑法適用法の3つがある。この部分での課題として、法の統一化へのニーズと、各国の文化的アイデンティティの保障との緊張関係を適切に考慮しなければならないという点が挙げられる。この文脈において Bockは、規範論に大きな意義があるとする。もっとも、規範論は、少なくとも、 Bindingに淵源を有するその古典的な形態では、刑法の国際化によって新たに生じる問題の全てに答えることは出来ないとして、この分野における規範論の活用のためにはさらなる議論が必要であるとする。この点の例として Bockは、刑法では行為規範は個人に向けられるのに対して、国際法は国家を名宛人とするという国際刑法における名宛人の問題を特に指摘する。規範論は、発生する全ての問題に特効薬を用意するものではないとしても、国家を超えて妥当する国際的な行為規範を志向するという規範論の特徴から、刑法の国際化にとって極めて重要なポテンシャルを秘めていると Bockはいう。この点を踏まえて Bockは、例として、国際的な行為規範が観念できる場合、このような規範は国際法の基準に従って解釈されるのに対して、制裁規範は各国の基準に従って評価されるという、規範論から生じる規範解釈上の認識の問題に立ち入る。これによれば、当罰性判断が異なることは、国際的な行為規範の妥当性に疑問を付すものではないが、制裁規範の法的な相違の評価にとっては決定的な意義を有することになる。さらに、 Bockによれば、規範論は、規範違反を訴追しないこと、あるいは刑事訴追の実務において選択性があることの評価にも影響を持つ。なぜならば、規範論上の基準によれば、あらゆる規範は制裁による強化を必要とするからである。このように、個人は制裁規範の遵守を要求することもできるため、刑法規範によって基礎づけられる働きかけの第3の次元を考慮する必要がある。ある特定の行動を内容として個人を名宛人とする命令ないし禁止と、このような命令ないし禁止に違反した者を処罰すべしとする国家を名宛人とする命令のほかに、国際社会を名宛人とする、少なくとも国際的な行為規範に違反して人権侵害行為をした者に対して制裁を科さないこととした全ての者に制裁を科すべしとの命令が考えられるとする。

 オープニング・レクチャーでの基礎的な考察に続いて、翌金曜日の第1報告者である Konstantina Papathanasiouが、デジタル化の観点から、刑法適用法との関係で規範論がどのような意義を有するかという問題を扱った。報告の出発点となるのは、Ulfrid Neumannによる、ドイツ刑法3条以下の規定を構成要件要素と位置付け、それゆえに不法に関連するものであるとする立場である。 Papathanasiouは、この立場に依拠し、サイバー犯罪と暗号資産取引所における刑法適用法上の問題を論じた。サイバー犯罪の関係でよく用いられる潜在的危険犯は、ドイツ刑法9条1項にいう結果地を基礎づけることはできず、それゆえそれ以外の基準を援用することが必要となるという点が強調される。暗号資産取引所については、暗号通貨市場規則(MiCA)に関する委員会提案を参照する。そこで策定されている市場濫用規制は、第三国における作為および不作為にも適用されること、およびそれに付随する刑罰法規は、ドイツ刑法3条以下の規定を超える形で適用範囲が拡張されることは、各国の刑罰法規の普遍的妥当を、裏口から認める帰結に至るとする。これに引き続く議論では、 Bockが、なぜ外国法の適用が民事法では可能であるのに、刑事法では不可能なのか、またグローバル化する世界において、代理処罰の発想を再考する必要はないかといった問題提起を行った。
 これに続く、 仲道祐樹 (Yuki Nakamichi)の報告では、著作権法を例とした規範論の普遍的なポテンシャルの問題が扱われた。その際、 仲道 (Nakamichi)は、まず総論として、規範論が、日独の著作権法について、その言語的違いを超えた統一的な構造分析を可能とするというポテンシャルを有することを示す。各論として、 Louis Kaplowの「ルール」と「スタンダード」の区別に関する規範論的観点からの分析を行った。この区別は、著作権法の権利制限のモデルとフェアユースモデルの違いに対応するとする。これに引き続く議論では、規範論的観点から、ルールとスタンダードの区別の有用性が取り上げられ、特に、スタンダードでは、行為規範の具体化が困難であるという問題があることが強調された。この点で Behrendtは、スタンダードによると、行為規範を確定的な形で発することが不可能になるという点を特に指摘した。
 引き続いて、 Kyriakos Kotsoglouによる、権利推定の構造分析に関する英語での講演が行われた。導入として Kotsoglouは、法の複雑性の観点からは、何か単一の立場に縮減して法を理解することはできないとして、規範論についても、 Binding的な理解にとどまらず、より包括的な、規範構造の分析理論として理解するとする。 Kotsoglouはこのような前提から、ドイツ刑事訴訟法261条が謳う、裁判官は自己の確信に従って判断をしなければならないとする原則とあわせ見る形で、無罪推定原則をデフォルト義務論理に基づいて構造分析し、疑わしきは被告人の利益にの原則が機能しないことを示す。この原則が前提とする疑いは、刑事訴訟では存在しないとする。むしろ、法律に基づく裁判官が、被告人の罪について十分に確信していないのであれば、被告人は無罪と扱われ、また無罪判決が出される。確信している場合には、被告人には有罪判決が出される。第3の可能性は存在しないとするのである。
 これに続く報告では、 Antonio Martinsも Kotsoglouと同様、国内の実体刑法を国際的に執行する場面も含めて、規範論が刑法の普遍文法として機能するか、あるいはそれによって、一定の重複はあっても、規範的に異なる国内法秩序を、二階の規範性を創出することによって統一できるかという、規範論の潜在的機能を問うた上で、 Binding のみを志向する意味ではなく、包括的意味での規範論について考察する。異なる社会の異なるニーズに即した行為規範形成と選択的な二次的犯罪化にとって社会的・政治的モメントが有する重要性に鑑み、 Martinsは、異なる法秩序が共通のディスコースにおいて互いに学びうるという可能性を見出す。しかし、メタ・ディスコースにおいて刑法の普遍文法を構築する営みには、終わりはないとする。
 金曜午前の4報告に続いて、午後には、外国法から見た刑法・刑事訴訟法のネットワーク化と一体化に対して規範論が有するポテンシャルについてのワークショップが行われた。設定したテーマの国際性から、このパネルの報告者も国際色豊かなものとなった。日本の 川口浩一 (Hirokazu Kawaguchi) 、トルコの Adem Sözüer 、ポルトガルの Inês Godinho、中国の 唐志威 (Zhiwei Tang)、そしてアルゼンチンの Juan Pablo Montiel がそれぞれの話題提供報告に基づいて、議論を行った。
 導入となったのは、 川口浩一 (Hirokazu Kawaguchi)による報告で、国際刑事法における処罰といわゆる市民刑法における処罰との異なる機能に関するものであった。国際刑事法では、処罰は規範妥当の確立のためのものであるのに対して、市民刑法では規範妥当の維持が問題となる。 川口 (Kawaguchi)は、後者の文脈において特に、中止犯を行為規範の問題とするかどうかを扱う。この点は、行為規範の妥当についての行為者の立場表明が、中止によって矛盾したものとなることから、規範妥当についての行為者の否定的な立場表明への、これと相反する回答としての刑罰の必要性は中止によって認められなくなるとする。このような見方は、未遂犯を未完成犯罪と見る理解が前提となるとする。
  Adem Sözüerの報告は、トルコにおける刑法の発展の重要なポイントを示すものであった。特に問題としたのが、現地で大きな問題となっている性刑法のリベラル化の問題である。そこには社会的に受容された行為規範との不一致が見られ、裁判官の多くも、現在のようなリベラル化された性刑法を受け入れないであろうとする。もっとも、広く様々な方向からの抵抗も見て取れる。 Recep Tayyip Erdoğan大統領が2022年7月1日にいわゆるイスタンブール条約からの離脱を命じたことで、議論はピークに達したとする。性刑法のリベラル化にここまで反対が強まった背景には、行為規範は神から与えられ、また「聖典」から読み取られるものであるとするイメージがあるとする。このような見方に基づく限り、多元的な社会は存在し得ないとする。
 両報告に向けられた多彩な議論に続いて、 Inês Godinhoが、ポルトガルにおいては真の意味での規範論的な議論は存在しないことについて報告を行った。その理由は、ポルトガルにおいては、刑法独自の違法性判断が認められていないからであるとする。しかし、ポルトガル刑法典31条は、法律によってある行動の違法性が阻却される場合には、その行動は不可罰であるとしており、これは、独立した不法の存在を強調する必要性があると考えられることを示唆しているとする。それゆえ、刑罰法規は行為規範を前提とするが、それは常に明らかになるとはいえないとする。この点を Godinhoは、 Joachim Renzikowskiの次の一文を引きつつ強調する。すなわち、「メタ理論としての規範論は……刑法理論に正しく光を」当てるものなのである(Renzikowski, in: Alexy (Hrsg.), Juristische Grundlagenforschung, 2005, S. 115 (137))。
  Zhiwei Tangの報告も、 Godinhoが援用したのと同じく Renzikowskiを引用しつつ論証を進めており、その意味で両者は同様の方向性を示すものであった。 Tangは、規範論が持つ、普遍文法へと発展しうるポテンシャルを持った、普遍的な説得力を有する理論的構造体としての性質を強調する。各国の法秩序における刑罰規定の分析に規範論がどのような寄与をなしうるかというポテンシャルを示すために、 Tangは、現在各国の法秩序においいて異なる取扱いを受けている不能犯の問題と、中国刑法において構成要件要素として用いられている重大性基準の問題を特に取り上げた。規範論の観点からは、後者は、行為規範の相対化と結びつくものであって憂慮すべきものであるとした。
 ワークショップ最後の報告は、 Juan Pablo Montielによる刑事手続の規範構造に関するものである。刑事手続に関する諸規定は、行為規範でも制裁規範でもなく、第3の規範カテゴリーとしての授権規範と位置づけるべきであるが、アルゼンチンの議論ではこの点について広く誤解があるとする。この文脈のもとで Montielは、負担と責務の区別の問題を扱う。たしかに、負担も責務も、あるルールから利益を得るために特定の行動を行うことを奨励するものではある。しかし、責務違反が名宛人に帰属されるのは、規範遵守の可能性が認められる場合のみである。これに対して、負担の場合には、名宛人に規範遵守が可能であったかどうかは重要ではない。その意味で、責務は責任依存であるのに対して、負担は責任には依存しないということになるとする。
 ワークショップ報告に続く議論では、特に Godinho報告との関係で議論が行われた。実定法の補充規範としての手続上の規範は、規範的な真実と整理されるのか、それとも、 Godinhoが主張したように、これを規範的な真実を限定づけるものとするのかがこれである。その際に明らかとなったのが、ここで主張される様々な立場が、コモンローと大陸法とにおける手続的真実と実体的真実の区別に対応するという点であった。さらに Behrendtが、メタ理論に対するメタ・ディスコースが必要ではないかという問題提起をしたことで、議論の整理となった。複数の規範論の間で一致を見るということはおそらく不可能であろうが、同じものについて実質的な議論を行っていることを明らかにすれば、それが有益な理解をもたらすディスコースにつながることもありうるというのである。
 初日は、ワークショップの各パネリストからのまとめで終了した。

 2022年9月10日(土)の第1パネルは、ヨーロッパ刑法における規範論のポテンシャルをテーマとした。
 最初の報告は、 Laura NeumannによるEUにおける実体刑法の統一化への規範論のポテンシャルであった。 Neumannは、EU機能条約83条2項のいわゆる付随的権限に鑑みれば、規範論は、今日ではすでにEUにおける刑法のハーモナイゼーションに関する構造的な基礎と事実上なっているとする。それゆえ、解釈の手段として、あるいは付随的権限の射程を決定する際に、規範論を援用することが可能であることになる。さらに、権限の構造を規範論的に明らかにすることには、刑法のハーモナイゼーションのプロセスにおける合意形成の基礎となる規範論自体を豊かにするというポテンシャルが潜在しているとする。なぜならば、規範論により、付随的権限の正当性に関する議論を合理化し、さらに法秩序をまたいだ合意の基礎となりうるからである。
  Neumann報告に続いて、 Anne Schneiderが刑事訴訟法のハーモナイゼーションに関する報告を行った。各種資料と、関連する法定立行為を概観したのち、 Schneiderは、刑事手続に関する規範が二重の性質を有することを指摘する。刑事手続規範は、特別な行為規範として刑事訴追機関に向けられている一方で、制裁規範が義務づける制裁賦課の種類と態様に関するものでもある。刑事訴訟規範はこの点で、制裁規範の重要な構成要素であり、その解釈も、刑罰論および刑罰目的に依存し、それゆえ、刑事訴訟法における異なる取扱いは、理由づけを要する差別として、正当化が行われなければならないとした。この概念はその後の議論で非常に好意的に捉えられた。
 両報告に続き、土曜午前のプログラムとして、国際刑法の観点からの規範論のポテンシャルに関するワークショップが行われた。パネリストは、 Stefanie Bock、 Boris Burghardt、 Markus Wagnerの3名である。
ワークショップは、 Markus Wagnerの報告からスタートした。そこで取り上げられたのは、国際刑法の基礎にはどのような行為規範が存在するのかという問題であった。この点が問題となるのは、国際法の規範は国家に向けられるのに対して、(国際)刑法上の非難には、個人に向けられた行為規範が必要となるためである。このような行為規範は、原則、個人を名宛人とする制裁規範から導出されることになるが、それには問題がないわけではない。最終的には個人を名宛人とする行為規範を国際刑法との関連でなお獲得するための他の可能性として、 Wagnerは、とりわけ、基本法25条2項による名宛人の変更、および国際条約の批准と国内法化を検討する。後者の場合には、しかし、国際法上の行為規範は、国内法から導かれることになる。この問題に対する首尾一貫した解決は、結局のところ見出せていないとする。これに続く Boris Burghardtの報告では、国際刑法の規範論分析が有する4つの問題点を強調し、 Wagnerの議論との接続が行われる。 Burghardtも、国際刑法上の規範から行為規範を生成することには問題があるとする。国際刑法上の規範は、一次規範に従属するが、この一次規範の範囲を明らかにする点にすでに難しさがある。個別具体的な行為規範を、国際刑法の個別の規範から導出する際にも同じような問題がある。この点で Burghardtは、とくに、国際刑法上の規範の文脈的要素を行為規範に統合するという問題を取り上げる。さらに、行為規範を生成する際に、国際刑事法の前実定法的な中核部分と連動させるかを検討する。また、規範論的な考察によって明らかになった平時の法と戦時の法との逆転関係の問題を考察し、ここから、全く別の文脈で展開された規範論の概念を再研磨することが、国際刑法について考察する基礎としてどの程度必要であるかという問題を提起した。
  Burghardtの議論に続いて、 Stefanie Bockは、国際刑法の規範の文脈的要素と、国際刑法における特別な意図についての考察を展開した。この点で、文脈的要素や国際刑法における特別な意図により、国際社会の制裁権限が発動し、また場合によりそれは、国際社会の代理としての各国によって行使されるという理由から、制裁規範の配分に賛意が表された。
 これに引き続く議論では、特に最後に挙げた行為規範および制裁規範への文脈的要素の割当という視点が議論の対象となった。 Martinsと Wagnerは、この点で、規範違反の国際法上の特殊性を維持し、行為規範が持つ不法の次元が制裁規範と連動することを保障するために、行為規範としての分類に賛意を示す。続いて Wörnerは、国際刑法上の規範の由来を問う。この関連で、19世紀の憲法は、市民を名宛人とするものではなかったことを指摘する。市民の主観的権利はむしろ、それ以降に発展してきたものであるとする。最後に、ウクライナ侵攻に関するロシアの説明との関係で、国際刑法が正当化したい目的のための道具となることが指摘された。
 最後に、主催者の1人である Wörnerから、総括的なコメントとともに、さらなるプロジェクトへの展望と、参加者への感謝が述べられ、閉会した。

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Normentheorie im Zeitalter der Digitalisierung (18./19. Juni 2021)

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Zum Tagungsband

Am 18. und 19. Juni 2021 veranstalteten Frauke Rostalski und Milan Kuhli die Online-Tagung „Normentheorie im Zeitalter der Digitalisierung“. Die „Digitale Transformation“ beschreibt einen Paradigmenwechsel: den rasanten Wechsel zu einer weitgehend digitalisierten Arbeits- und Lebenswelt. Der Einsatz digitaler Technologien erstreckt sich tief in die Gesellschaft hinein; Daten und Algorithmen werden zum Teil ihrer Infrastruktur. Die Digitalisierung als gesellschaftliches Phänomen wirft auch im rechtlichen Bereich zahlreiche Fragen auf: Inwieweit verschieben sich Aspekte einer normentheoretischen Betrachtung im digitalen Zeitalter bzw. inwieweit ist eine normentheoretische Analyse des Rechts überhaupt noch tragfähig? Können Roboter bzw. digitale Maschinen Rechtsnormen anwenden und gegen Rechtsnormen verstoßen? Wie kann die Programmierung von Maschinen normentheoretisch rekonstruiert werden? Die digitale Transformation macht es einmal mehr nötig, sich auf die Fundamente unserer Rechtsordnung zu besinnen. Welchen Beitrag kann die Normentheorie zur Adressierung und Perspektivierung neuer Sachverhalte bzw. Rechtsfragen leisten?

Den Auftakt der zweitägigen Tagung machte Lorenz Kähler mit seinem Beitrag „Norm, Code, Digitalisat“. Von der Prämisse ausgehend, dass das Recht „im Kern als eine Menge von Normen“ zu verstehen sei, widmete er sich der Frage, ob Digitalisierung „eine Publikation, Duplikation oder gar Transformation des Rechts“ bedeute. Kähler warf dabei die These auf, dass es im Kontext einer Digitalisierung des Rechts darauf ankommt, ob es gelingt, nicht nur den Normtext zu digitalisieren, sondern darüber hinaus auch seinen semantischen Gehalt zu erfassen. In seinem Beitrag geht er dieser Frage weiter nach.

Stephan Meyers Vortrag „Digitale Anwendbarkeit von Rechtsnormen – Auch eine Frage des Rechtskreises?“ fragte danach, ob die Herausforderungen, die sich bei der autonomen Rechtsanwendung durch Systeme Künstlicher Intelligenz stellen, auch vom Rechtskreis abhängen. Verglichen werden der kontinentale Rechtskreis und der Common-Law-Rechtskreis. In seinem Beitrag schilderte Meyer zunächst kursorisch die erhofften Vorzüge autonomer Rechtsanwendung, die die Automatisierungsdebatte veranlassen. Anschließend wurden bereits vorhandene KI-basierte „Legal Tech“-Anwendungen vorgestellt und zukünftig zu erhoffende Fortschritte, die regel- und datenbasierte „Legal-Reasoning“-Ansätze zusammenbringen, erörtert. Unter Voraussetzung dieser Fortschritte, die den Maschinen zumindest in einem gewissen Umfang Weltwissen und die Fähigkeit zu „echtem“ Textverstehen verleihen könnten, wurde zuletzt nach der Eignung der beiden Rechtskreise zur Automatisierung gefragt.

Alexander Stöhr befasste sich in seinem Beitrag „Schädigung durch autonom handelnde Maschinen – Verantwortungszuweisung durch Haftungs-, Zurechnungs- und Beweisnormen“ mit der Frage, welche juristischen Lösungen im Hinblick auf die Haftung in Betracht kommen, wenn eine Schädigung durch autonom handelnde Maschinen erfolgt. Verantwortungszuweisung erfolge durch Normen, welche zunächst in Rechtsnormen, darunter Haftungsnormen, Zurechnungsnormen und Beweisnormen sowie ökonomische Normen kategorisiert werden. Anschließend erörterte Stöhr, inwieweit sich vertragliche und deliktische Haftung begründen lassen. Im Rahmen der deliktischen Haftung wurde neben der lex lata auch die Einführung einer Eigenhaftung der Maschinen sowie einer Gefährdungshaftung diskutiert.

Dem Beitrag von Alexander Stöhr folgte ein Kommentar von Inês Fernandes Godinho, in welchem die Verantwortungszuweisung bei Schädigung durch autonom handelnde Maschinen aus einer strafrechtlichen Perspektive beleuchtet wird. Godinho schilderte zunächst die Haftung von Personen wegen autonom handelnder Maschinen. Ausgehend hiervon wurde skizziert, welche Schwierigkeiten sich im Hinblick auf Fahrlässigkeitsdelikte im Rahmen der Zurechnung, insbesondere bei der Vorhersehbarkeit, ergeben, bevor Godinho darüber nachdachte, ob KI-basierte Systeme und Maschinen strafrechtlich haften (werden).

Der erste Tag wurde mit Alisa Hastedts Beitrag „Schranken statt Normen? Überlegungen zum Einfluss von Impossibility Structures auf Verhaltensnormen“ beendet. Dieser widmete sich der Frage, ob Mechanismen, die rechtswidriges Verhalten unmöglich machen sollen, die ihnen zugrunde liegenden konkretisierten Verhaltensnormen überflüssig machen. Diese Frage wurde nach einem Impulsvortrag von Alisa Hastedt gemeinsam mit den Teilnehmenden der Tagung in einem offenen Werkstattgespräch besprochen. Im Tagungsband findet sich hierzu keine Dokumentation.

Svenja Behrendts Beitrag „Entscheiden im digitalen Zeitalter. Überlegungen zu den Auswirkungen smarter Technologie auf Verhaltenspflichtbildung und Verantwortlichkeit“ thematisierte die Frage, welche Auswirkungen die Existenz künstlicher Intelligenz rechtstheoretisch auf die Verhaltenspflichten und auf die Verantwortlichkeit, genauer: die Rechtsverhältnisse unter Menschen hat. Behrendt zeigte zunächst auf, in welchen Konstellationen KI relevant werden kann. Hiervon ausgehend wird diskutiert, ob und inwieweit eine Pflicht zur Hinzuziehung von KI oder gar eine Pflicht zur Verwendung des maschinell erzeugten Ergebnisses bestehen kann und welche generellen Auswirkungen die Existenz von KI mit sich zieht.

„Algorithmen in der Rechtsanwendung“ bildeten das Thema des Beitrags von Roland Broemel. Er befasste sich mit verschiedenen Formen des Einsatzes von Legal Tech-Anwendungen bei der Bereitstellung von Rechtsdienstleistungen und deren rechtlichen Rahmenbedingungen.

Den Abschluss der Tagung bildete ein Vortrag von Philipp-Alexander Hirsch zu „Künstliche Intelligenz, normative Ansprechbarkeit und die normentheoretische Beschreibung des Strafrechts“. Hirsch nahm KI in den Blick, die zwar normativ ansprechbar ist, ohne jedoch bereits voll verantwortlicher Akteur zu sein. Verletzt so beschaffene KI strafbewehrte Verhaltensnormen, entstünden straffreie Räume. Hirsch zeigte auf, warum und wie solche KI normativ ansprechbar ist und welche Konsequenzen sich hieraus für die normentheoretische Beschreibung des Strafrechts ergeben. Dabei griff er auf Erkenntnisse der Maschinenethik zurück, weil dort im Vergleich zur juristischen Normentheorie die Debatte um normative Akteurschaft weiter vorangeschritten sei.

刑事法への挑戦としての集団性(ボン、2019年10月18日/19日)

研究会論文集

刑法学にとってのボンは、 Hans Welzel と Armin Kaufmannという刑法学者の名とともに、現代の規範論誕生の地であると言ってよい。その意味で、規範論ワーキンググループの第2回ワークショップを開催するのに、ボンよりも相応しい場所というのはないとも言える。2019年10月18日、19日、 Konstantina Papathanasiou と Kay H. Schumann が主催した本ワークショップの目的は、規範論の観点から、「刑事法への挑戦としての集団性」について議論する点に置かれた。本ワーキンググループのメンバー以外にも、 Urs Kindhäuser と Joachim Renzikowski という規範論を語る上で欠かせない研究者からの報告が組まれ、ワークショップをさらに充実させることができた。また、フロアにも多くの参加者が得られたが、その中でも Ingeborg Puppe の参加が得られたことにより、当日の議論は一層の盛り上がりを見せた。
第1報告は、 Urs Kindhäuser による「犯罪の共同遂行における義務違反——共犯論の意味論的問題」であった。取り上げられたのは、各共同正犯者は、自分が義務に合致する代替的行動を採ればその犯罪事実を回避できるにもかかわらず、犯罪事実に寄与したということについて相互に責任を負うのはなぜかという問題であった。共同正犯者による犯罪事実への寄与を、人の集合体がなしたことととらえても、問題の解決にはならない。集合体の責任を論理的に推論することをするにとどまり、集合体の構成員の責任を推論させるものではないからである。そこから、共同正犯の不法は、共犯の不法と同じく、従属的性質を有するということが導かれる、とする。もっとも、共同正犯は、相互的共犯であるということによって伝統的な——一方的な——共犯とは区別される。そうすると、共同正犯の規範は、共同性という要素を含まなければならないことになり、この意味で共同正犯者は、単独正犯とは異なる規範に違反することになるとする。 Kindhäuser は最後に、共同正犯の規範論的分析はなおその緒についたばかりであるとした。その後、 Kay H. Schumann が、いわゆる集合的法益に関する規範論的考察を示し、ワークショップ初日は幕を閉じた。
ワークショップ2日目は、 Joachim Renzikowski の報告「帰属主体としての集合体」で幕を開けた。同報告は、帰属主体としての「人格」は実証できる対象ではなく、法の世界ないし実践哲学に属するものであるとする。この理解からすると、「自然人」と「法人」を並べて語ることは誤解を招くものであり、ここから Renzikowski は、従来の概念に代えて、「persona moralis simplex」と「persona moralis compositas」という概念を設定する。 Renzikowski は、 Kindhäuser とは異なり、特に Kant と Pufendorf に依拠して、集合体による犯罪は、集合体自身にではなく、その構成員各人に帰属されうる、との結論に至る。全体の各部分は個々の物理的人格からなっているとはいえ、個々人が全体の一部分としての機能において行ったそれぞれの行為は、全体としての行為であると同時に、個々人の行為でもあるというのである。この前提を踏まえて、 Renzikowski は個別の解釈問題の分析を行った。
Anne Schneider が取り上げたのは、「越境的関与」における規範論的問題である。これが特に問題となるのは、複数の法秩序の間で、関与者の行為を判断する基準となる評価が相互に大きく異なっている場合である。まず問題となるのが、行為規範と制裁規範の適用範囲である。ドイツ刑法3条以下により規律されている制裁規範に対して、行為規範の適用範囲は、統一的かつ法域横断的に決定されなければならないとする。そのために、原則として行為地の行為規範が適用されるとするローマⅡ規則17条の規定を用いることが推奨された。これをうけて Schneider は、様々な事例を挙げつつ、自身の構想の帰結を検証した。越境的関与の問題を規範論的に分析することで、ドイツ法による処罰範囲の拡大を防ぐことを可能にする方法論的アプローチへの展望が開けるとする。
続けて、 Markus Wagner が「刑法上の使用者責任の『具体的』行為規範」の問題を扱った。議論の前提となるのが、 Wolfgang Frisch が——繰り返し——説いてきた次の要請である。すなわち、(刑)法学の中心的課題は、その否認に基づき、制裁規範にしたがって刑法上の非難がなされるところの行為規範を、正確な形で構成することであるというのがこれである。しかし、使用者責任の実務においては、このような要請はほとんど無視されているということを、 Wagner は連邦通常裁判所の判例から例を引きつつ示した。このような実務運用は、部下が行うかもしれない不法実現に対して、使用者が行使しうる影響力を過大評価し、許容し得ない程度まで可罰性の範囲を広げるという帰結にも至りうるとする。規範論は、使用者が他にどのような行為を行い得たかを明示することを法適用者に求めるものであると、本報告は指摘する。これにより、不法実現の回避が可能であった場合でも、使用者がとり得る行為に相当の限定が設けられるということもありうるという。
昼休みを挟んで、 Inês Fernandes Godinho による報告「規範の集合性と集合的規範」が行われた。同報告は、「集合性」と規範との関係を次のように表現する。人間が共同体へと結合するという意味における集合性によってはじめて(そしてそれのみによって)規範を必要とする状態が生まれた。しかし、規範が受容されるのは、規範の作り手が、それに見合う正当性を示すことができた場合に限られる。その場合に限って、規範の作り手は、規範定立者と扱われる。「集合的規範」とは、あらゆる関与者に妥当する規範であると理解される。しかし、ここでいう関与者とは誰のことか? Godinho は、関与者となるのは「集合性」によって共同体へと結合したその構成員のみであるとする。
Luna Rösinger の報告は、「いわゆる攻撃的緊急避難において一方の利益のために他方を利用することの法的根拠」の問題を扱うものであった。同報告は攻撃的緊急避難を、法が危険を「集団化」ないし「再分配」する事例ととらえる。 Rösinger は、法哲学の知見を参照しつつ、攻撃的緊急避難において介入を受ける者の自由制約が許されるのは、自身の連帯義務に基づく場合のみであるとの結論を導く。この理解は、第1に、法益に危険が迫っており、かつその法益が自由の実現にとって大きな重要性を有するものでなければならないという帰結を、第2に、避難行為が惹起することが許されるのは、その部分について補償が可能な程度の侵害にとどまるという帰結をもたらすとする。
本ワークショップの最後を飾ったのは、近時導入されたドイツ刑法184条jを規範論的観点から分析する Stefanie Bock の報告「一緒にいったら一緒に罰されるのか?ドイツ刑法184条jにいう危険な集団への関与」であった。同報告によれば、184条jの規定は、2015年の大晦日に起こった性的侵害への立法的対応として理解される。このような事件関係からすれば、立法者がいかなる事案を処罰対象としようとしていたかは、一応理解できる。もっとも、184条jの文言や規定の構造は、極めて茫漠としており、かつ掴み所のないものであって、それゆえに、許容される行為と禁止される(すなわち処罰される)行為との限界づけに相当の困難が生じているとする。 Bock は結論として、本条は、性犯罪に関する規定ではなく、集団に関係した体系的な帰属規則であるとする。しかし、本条には重大な欠陥があるとして、 Bock は、同条の完全削除を主張する。

規範論と刑事法(ギーセン、2018年2月23日/24日)

研究会論文集

2018年2月23日、24に、ギーセンにおいて、ワークショップ「規範論と刑事法」が開催された。 Anne Schneider と Markus Wagner のイニシアティブで行われた本ワークショップは、規範論のバックグラウンドと、刑事法にとっての規範論の意義を、参加者全員で考えることを目的とするものであった。

第1報告は、 Fedja Alexander Hilliger による、 Binding の規範論における法理論的前提の検討であった。刑罰法規と行為規範とを区別する点、および行為規範は刑罰法規とは独立したものであることを認める点から、法を理念的な現象ではなく、単に事実的な現象ととらえる法実在論を退けることが示唆される一方、制裁なき法命題を認めうるような「敷居の低い」法概念が示唆されることとなった。

続いて、 Kyrakos N. Kotsoglu は、 Binding に連なる各種の規範論を批判的にとらえ、次のように非難した。すなわち、彼らの規範論は、法的に命じられる内容が、非専門家にも理解できるような行為規範の形で抽出されるという単純な理解に基づくものであり、それゆえに、現代の法秩序が要請するものや法秩序をドグマーティクによって貫徹した際に達成される状態に対応できるほどの複雑さを有していない、というのである。さらに、このような規範論は、国家と市民との関係の本質的部分を、命令と服従の関係、治者と被治者の関係と構成するものであると指摘した。

これに続いて刑事憲法学の観点から、 Boris Burghardt が、規範論の成果を批判的に評価する。彼の理解によれば、連邦憲法裁判所の判例においても行為規範と制裁規範の区別が部分的に用いられているが、その区別は、刑法上の行為規範を定立するとの決定は、その禁止・命令(あるいはそれによって保護される法益)に大きな社会的重要性があるとする評価をすでに含んでいるという点をあいまいにしてしまっているということになる。

他方で、 Laura Neumann の報告は、法理論における構成原理としての二元的規範論と、違反される行為規範の性質や賦課される制裁の種類とは、相互に無関係であるという点から論証する。ここから、規範論は、ヨーロッパ各国において、刑法と行政刑法とを統一的な制裁法へと融合させる触媒となったこと、そして将来的には、ヨーロッパにおける統一制裁法への法構成上の基礎となりうることを示す。

これに引き続く Frauke Rostalski の報告は、規範論が刑法ドグマーティクにもたらす帰結を示すものであり、その目的は、規範論に基づく犯罪行為の概念理解に基づくと、不法と責任とは区別できないということを示す点に置かれた。その理由は、行為規範違反が不法を意味するのであれば、そのような規範はそもそも、規範に従うことのできる者、すなわち責任能力者しか名宛人とすることができないのであり、それ以外の場合には、立法者の「独り言」にすぎないという点に求められた。

ワークショップ初日の最終報告として、 Milan Kuhli が法の参照指示が問題となる場合に必要となる故意との関連性の問題を取り上げた。同報告では、規範的構成要件要素と白地要素とを規範論によって一義的に区別することはできず、それゆえ故意として必要となる内容についても、規範的構成要件要素か白地要素かによって判断することはできないとする。むしろ、故意は原則として、各構成要件が参照を指示する規範(複数の場合もある)が実際に要件とするもの、およびそこから生じる法的効果と関連しなければならないとする。

当初予定されていた Jan Dehne-Niemann と Julia Marinitsch の報告が、急遽キャンセルとなったため——「ローゼ・ロザール事件」の解決についての規範論の意義に関するものであり、本ワークショップに基づく論文集には掲載されている——、ワークショップ2日目は、 Sören Lichtenthäler の異なる犯罪間の択一的認定について規範論がもたらす帰結に関する報告からスタートした。その分析によれば、択一的な有罪判決の合憲性をめぐる近時の議論において、明らかに「規範論的」と評しうる議論が展開されたが、最終的に本報告は、規範論だけではこの問題への回答は得られないとの結論に達することとなった。

続いて、 Stephan Ast の報告では、規範論に基づく詐欺罪の分析が行われ、犯罪構成要件がどのようにして行為規範へと展開するのか、その際に行為論や規範論から見て何が考慮されるのか、そしてそれらの点が解釈論上いかなる効果につながるのかが示された。

Thomas Grosse-Wilde の報告は、「英語圏の法的ディスコースにおける規範論の多様性」について概観するものであった。同報告は Bentham による行為規範と制裁規範の区別、 Hart から Kelsen の一元的規範論に向けられた批判、そして Dan-Cohen が導入した conduct rule と decision rule の区別をめぐる議論を取り上げた。

続いて、 Konstantina Papathanasiou が、 Binding の規範論を前提に、いわゆる国際刑法に関する一般的見解、すなわち、行為規範は普遍的に妥当する一方、制裁規範は刑罰適用法により限定されるとする見解を検討した。同報告によれば、このような理解は、長きにわたり国際慣習法として一般的に承認されてきた不干渉原則と整合しないものであり、それゆえ行為規範も制裁規範も、その適用範囲は同一でなければならず、また、刑罰適用法も、支配的見解が認めるような不法中立的なものとはいえないとする。

第1回ワークショップのトリを務めたのが、 Liane Wörner である。同報告は、欧州人権裁判所の判例における(ヨーロッパ化された)刑事司法の機能的効率性というトポスの「経歴」をたどり、規範論的に見たその意義を、規範内容の決定と制裁の発出との分離に求めた。しかし、可能な限り機能的効率的な刑事司法を目的としても、欧州連合と加盟国によって補完的に保障される被疑者の自由権による限界づけが存在するとした。