14.02.2023

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Dr. Svenja Behrendt

Überlegungen zum Versuch des Unmöglichen: Die konzeptionelle Bewältigung von Unmöglichkeit in der Strafrechtstheorie und das Potential eines konstruktivistisch-diskurstheoretischen Rechtsverständnisses

Der Vortrag befasste sich mit der konzeptionellen Bewältigung des Phänomens der Unmöglichkeit in der Strafrechtstheorie. Es ging zentral um die Frage, unter welchen Umständen ein Vorwurf strafrechtlichen Unrechts legitimiert werden kann, obwohl das Handlungsprojekt faktisch den beabsichtigen Erfolg nicht herbeiführen wird oder es aus rechtlichen Gründen gar nicht als strafrechtlich relevantes Handlungsprojekt angesehen wird. Svenja Behrendt befasste sich idealtypisierend mit unterschiedlichen Ansätzen der Unrechtsbegründung, unterschied streng objektive (Objektivität aufgrund eines deterministischen Weltbildes), schwach objektive („Verobjektivierung“ der Verhaltensnorm, fiktiver objektiver Dritter als Maßfigur) und subjektive Ansätze. Es wurde dargestellt, weshalb kein Ansatz überzeugen kann und weshalb es dem herrschenden gemischt subjektiv-objektiven Ansatz an einem belastbaren theoretischen Fundament fehlt.
Behrendts Kernthese lautet, dass das Problem in dem Rechtsverständnis und der Konzipierung der Verhaltensnorm liegt. Sie plädierte dafür, sich in der Fachdiskussion von der Annahme eines einheitlichen Normkonzepts zu lösen. Lege man ein konstruktivistisch-diskurstheoretisches Rechtsverständnis zugrunde, werde deutlich, dass der Bruch einer strafrechtlichen Verhaltensnorm in allen strafrechtlich diskutierten Fällen vorliege und die Frage in den Vordergrund rücke, ob auf die Betätigung eines auf den Bruch einer strafrechtlichen Verhaltensnorm gerichteten Willens überhaupt kommunikativ reagiert werden müsse und, wenn ja, ob dies auf förmliche Art und Weise geschehen müsse. Wenn der beobachtende/beurteilende Interpret (z.B. Staatsanwalt oder Richter) nicht einmal in Bezug auf die abstrakte Verhaltensnorm die Ansicht des handelnden Akteurs teilt, dann bestehe grds. kein Anlass zur kommunikativen Reaktion. Anders sei das ggfs., wenn er – ebenso wie der handelnde Akteur – annimmt, dass es strafbewehrt untersagt ist, einen bestimmten Erfolg herbeizuführen (z.B. einen Menschen zu töten) und nur der Ansicht ist, dass die abstrakte Norm das konkrete Handlungsprojekt nicht untersagt (insbes. Fälle des abergläubischen Versuchs).

Zur Vertiefung vgl. Behrendt, ZfIStw 2023, 20

Dr. Svenja Behrendt

Attempting the Impossible: Impossibility in Criminal Law Theory and the Constructivist Discourse-Theoretical Concept of Law

The lecture dealt with the conceptual management of the phenomenon of impossibility in criminal law theory. It focused on the following question: Is criminal liability legitimate if the action project will not succeed or is not even considered criminally relevant for legal reasons? Svenja Behrendt dealt with different approaches to the justification of criminal wrongdoing, distinguishing between strictly objective (objectivity based on a deterministic view of the world), weakly objective ("objectification" of the behavioural norm, fictitious objective third party as a measuring figure) and subjective approach models. She elaborated on why no approach model is convincing and argued that the prevailing mixed subjective-objective approach leads to mostly acceptable results but lacks a resilient theoretical foundation.
Behrendt‘s core thesis is that the central problem lies in the legal understanding and conceptualisation of the behavioural norm. She argued against monist/objectivist concepts of legal ought’s (in the professional discussion). If a constructivist, discourse-theoretical understanding of the law is taken as a basis, it becomes clear that the breach of a criminal law norm of conduct is present in all of the cases which are under discussion in reference to impossibility. The focus shifts to whether it is necessary to react at all to the exercise of a volition directed towards the breach of a conduct norm and, if so, whether this must be done in a formal manner. If the observing/judging interpreter (e.g. a public prosecutor or a judge) does not even share the understanding of the acting agent that the criminal law entails the abstract conduct norm, then there is generally no need for a communicative reaction. The situation would be different if he or she - just like the acting actor – is in agreement with regard to the abstract level of conduct norms (e.g. that it is prohibited under threat of punishment to kill a person) and is only of the opinion that the abstract norm does not prohibit the concrete action project (cases of superstitious attempt).

The corresponding paper published as Behrendt, ZfIStw 2023, 20

26.08.2022

Prof. Dr. Juan Pablo Montiel

Verantwortungsstrukturen und anomale Kontexte(答責構造と変則的文脈)

Juan Pablo Montiel が特に主張するテーゼは、刑法ドグマーティクは、故意既遂犯以外の場面における刑法上の答責性の認定に重大な問題を抱えているというものである。すなわち、通説は、故意既遂犯の規則をそれ以外の全ての文脈に同じように適用することで全ての事案を解決しようとしているというのである。問題を明確化するために、 Montiel は、「犯罪(Verbrechen)」と「答責構造(Verantwortungsstruktur)」を区別することから始める。そこでは、犯罪の概念は単一のものであるが、それが異なる構造において使用されるということが出発点となる。犯罪概念は、放棄不可能な2つの属性の結合からなる。1つが「規範違反」であり、犯罪行為を「当罰性」あるいは「不法」と結びつけるものであるのに対して、もう1つは(犯罪行為と責任への)「帰属可能性」である。
「犯罪」と「答責構造」の区別により、最終的に Montiel は、2種類の構造を区別する。メイン構造とサブ構造がこれである。メイン構造は故意既遂犯に対応する。これがメインであるのは、グローバルレベルで有力な立法技術にも反映されている歴史的な理由による。すなわち、 刑法典は、故意犯について、基本的条件が充足されなかった場合に答責性を負わせるための特別な規則を有する法典であるというのがこれである。それゆえ、未遂の規則および過失の規則は、故意既遂犯の規則の例外として現れる。しかし、まさにこのことが示すのは、全ての構成要件要素が充足されていない場面では、メイン構造はサブ構造によって補完される必要があるということである。講演において Montiel は、2つのサブ構造、すなわち、未遂犯のサブ構造と欠缺のある結果犯のサブ構造の存在を論証する。
Montiel は、未遂事例において刑罰を科すことが可能なのは、独立の犯罪行為が問題となっている場合であり、答責性の派生形式が問題となっている場合ではないと主張する。さもなくば行為者は、帰属の要件が充足されているが、規範違反が認められない事例においても処罰されることになってしまう。このような意味で Montiel は、このような難点を克服するために、未遂を承認する総論のルールは、ある行為が規範違反といえるために有さなければならない特性の記述を提供するとの結論を導く。
答責性の第2のサブ構造は、「欠缺のある結果犯(defektbehaftetes Erfolgsdelikt)」と呼ばれる。これは、原因において自由な行為、原因において違法な行為、過失犯等、行為者が構成要件的行為を、自ら招いた答責性欠缺状態で行う事例群をいう。これらの事例群で全ての構成要件要素が同時に存在するためには、答責性欠缺状態を引き起こした行為も含める必要があるが、その際には、その行為が、対応する構成要件の実現に、間接的につながりうるものであることが考慮される。
最後に、 Montiel はサブ構造どうしを組み合わせる可能性および組み合わせたことによって生じる帰結の問題を扱う。そのうち、伝統的な犯罪論の理解にとって特に重要となる2つの帰結が強調される。このような体系では、いわゆる「過失犯」の未遂の概念上の可能性が肯定されること、およびいかなる形式のものであれ「認識なき過失」には、刑法上の答責性は認められないことがこれである。

08.04.2022

Prof. Dr. Wolfgang Spohn

条件付規範による推論

まず、規範の語り方について、次のような基本的な違いがあることが示された。当為命題としての規範、定言的規範と条件付(=仮定的)規範、規範と規範の審級、黙示の規範妥当と明示の規範妥当、三人称視点から外的に観察した経験的事実としての規範、記述的なものに還元できない真正のものとしての一人称視点における規範などがこれである。以下では、最後の理解のみを取り上げることとなる。
第2に、法論理からの批判、すなわち法的三段論法を典型とする法的推論を、古典論理を用いて形式化しようとする試みを取り上げた。例を用いて、法的推論は原理的に非単調推論ないしは「論駁」推論であり、古典論理では扱うことのできない非単調条件法に基づいていることが示された。
第3に、定言的規範の論理に関する基本的な前提について簡単な紹介があった。それは、哲学的論理すなわち義務論理の一部であり、その標準的体系が構築されているものであること、信念論理(合理的信念の論理)と同じ構造を持つことがこれである。これらの論理はすべて、異論の余地のないものではないことは当然である。
第4に、条件付規範の論理への拡張の問題を扱った。このような拡張を行うには、1968年以降に発展した条件論理の問題に立ち入る必要がある。というのは条件論理においては法的推論の形式化のために必要となる非単調条件法が問題となるからである。この問題ではアプローチの多様化が進んでいるが、より重要であり、かつ Spohn も支持するアプローチは、いわゆる Ramsey テストと条件法の信念論理に基づく解釈とに基づくものである。
第5に、このようなアプローチが条件付規範の理解とその論理的把握に適したものであることが述べられた。加えて、このようなアプローチを真剣にとらえた時に法理論の自己理解に起こる劇的な帰結についても説明があった。しかし、それは真剣にとらえた場合の話である。古典論理に基づく従来の自己理解は、結局のところ不十分であったことが示される。
第6に、 Chisholm のパラドックスと呼ばれるものが問題となった。義務論理では、このパラドックスをどのようにすれば適切に扱えるかがなお不明確である。 Spohn は、このパラドックスを、あらゆる規範的言説に通底する(そして、 Spohn によればパラドックスの基礎にある)根本的な曖昧さを説明するために導入した。すなわち、(内的価値と外的価値の区別、「善それ自体」と「手段としての善」の区別に類似する)純粋な規範と事実に導かれる規範の曖昧さがこれである。条件付論理に関する Spohn の説明も同様に不明確であったが、しかし正確に読み解けば、その説明は純粋な規範にのみ関わるものであった。
第7に、(法の文脈ではほぼ常に問題となり、少なくとも法的三段論法においては問題となる)事実に導かれる規範の論理に達するためには何がさらに必要かについて、展望が示された。そのためには、 Spohn が40年をかけて発展させ、また広めてきたいわゆるランク理論に踏み込むことが不可欠となる。本講演は以下の「take-home messages」で閉じられた。

1. 古典論理は、法的論理には適していない。
2. 非単調条件法を研究せよ。
3. 純粋な規範と、事実に導かれる規範とを厳格に区別せよ。

参考文献として、 Spohn, RPhZ 2022, S. 5–38

20.01.2022

Prof. Dr. Juan Pablo Mañalich

構成的規則体系としての特性を持つ刑法上の制裁規範体系の閉鎖性

本報告は、刑法における法律主義の「閉鎖規則(Schließungsregel/residual closure rule)」としての性質を扱う。特に問題とするのは、法律主義について一般的に言われる特性、すなわち「刑法上禁止」されていない行為はすべて、「刑法上許容されているものとみなす」こととなる規則としての特性である。というのも、刑法上の制裁規範は—— Wesley Hohfeld の用語法に言う——規制的規則( regulative Regeln)に分類されるのが通常であるが、むしろ構成的規則( konstitutive Regeln)として、すなわち国家権力に向けられた処罰義務を立ち上がらせるものとして、理解されるべきだからである(このように理解すると、 Binding が、その主著『規範とその違反』の第2版ですでに、刑罰法規を、義務を基礎付けるに適した規範ととらえる理解から距離を置いた理由も明らかとなる)。

刑法上の制裁規範を構成的規則にカテゴライズする発想は、 Hart の規範論にも見られる。そこでは、法律上の制裁は、いわゆる2次的帰属規則(secondary rules of adjudication〔日本語では、通例、第2次ルールとしての裁定のルールと訳される〕)の下位の形態とされる。2次的帰属規則とは、対応する法体系を形作る規則の制度的な適用や執行の条件、形式、効果を具体化する構成的規則であると一般に理解されているものである。このような理解のもとでは、(刑法上の)制裁規範は、制裁賦課が予定されている義務に違反した場合にいかなる刑罰を科すかを具体化し、または少なくとも限界付ける規則であることになる。刑法上の制裁規範が適用可能となるのは、ある者の(帰属可能な)態度がこの規範の前提条件を充足しており、その者が特定の、 Hohfeld の言う拘束性(Verbindlichkeit/liability)に対応する制度的地位を占め、これに対応する地位が Hohfeld の言う実力(Macht/power)である場合である。これによれば、刑法上の制裁規範は構成的規則であり、これが要件の充足と刑法上の制裁を結びつけることにより、「刑罰の等価性(Strafäquivalenz)」(Binding)が生み出されるのである。

これでようやく、刑法上の法律主義がどの程度まで閉鎖規則であるかという当初の問題に立ち返ることができる。閉鎖規則により閉ざされうるような体系を形作る規則が一方にあり、閉鎖規則それ自体が他方にあり、両者は範疇論的に同質でなければならない。すなわち、特定の規則体系を閉じることのできるような規則は、その体系の規則と同じ種類の規則に属していなければならない。 Hohfeld の言う「強い」地位と「弱い」地位とを——すなわち、問題となる規範体系に属する規則から生じる地位と、反対の内容を有する規則を持たない体系から生じる地位とを——さらに区別すると、以下の帰結が導かれる。すなわち、刑法上の法律主義は、構成的な閉鎖規則と理解されるべきであり、それによれば、法律上の制裁規範によって処罰されない者は、処罰されてはならないということがこれである。

28.07.2021

Dr. Zhiwei Tang

中国(刑)法学における規範論をめぐる議論

本報告は、中国(刑)法学における規範論をめぐる議論の継受状況と現在における議論の重点を明らかにするものである。とりわけ以下の3点を問題とする。すなわち、(1)中国において規範、あるいは規範論がどのように理解されているか、(2)中国における規範論に関する議論の現状と背景はどのようなものか、(3)中国(刑)法学の発展にとって規範論は、どのような寄与を、どの点でなしうるのか、がこれである。


I. 中国における規範概念および規範の一般理論に関する議論

中国において有力なのは、なによりもソヴィエト・ロシア的な国家思想、法思想に由来する制裁論的な規範理解である。これに基づいて、刑法の領域においても、刑罰法規には二重の性質があるという理論が多数説として主張されている。これによると刑罰法規は、一方では裁判官に向けられた裁判規範であり、他方では公衆に向けられた行為規範である。Binding以来のドイツの伝統的意味における行為規範と制裁規範の区別とは異なり、刑罰法規の二重性質説による行為規範と裁判規範とは、表裏一体の関係にある。このような刑法規範の理解は、行為規範と制裁規範との構造の違いや、2つの規範は連動しつつも、区別して考察しなければならないことを見落としていた四要件犯罪論に、過大評価はできないが一定の影響を及ぼした。

II. 外国法からの規範論の新たな継受

近時、日本法およびドイツ法からの新たな知見が継受されて、以上のような伝統的な規範理解と対立している。このような継受の流れは、以前は見られなかったことであるが、その理由は、従来は、規範論が法律学の学術交流においては脇役としての扱いにあり、限定的、個々的な紹介ゆえに、多くの誤解が生じていたためである。

III. 将来の展望:中国における規範論の展開

規範論が、中国における刑法理論上の議論を豊かにできるものであることには何の留保もない。不法論をめぐる議論と並び、規範論は、様々な理論的争点————例えば、中国刑法の構成要件によく見られる量的要素の役割————の解決のサポートとなりうるものである。そのためには、まずは規範論————正確には、規範に関する諸理論————の発展の流れを明らかにし、それぞれの理論の立ち位置がどのように異なっているかを浮き彫りすることが有益である。その意味で、本ワーキンググループがやろうとしていることは、中国刑法学のさらなる発展にとっての重要な基礎となるものである。

01.12.2020

PD Dr. David Kuch

法体系——規範分類——行為理由

本報告は、Joseph Raz(*1939年)の法思想における規範論的側面を明らかにするものである。注目するのは、1970年から1985年頃にかけて公表された初期の業績である。この時期の業績は、制度的法理論(I.)を包括的な実践哲学上の文脈に組み込もうとするものである(II.)。Razの思考過程のいずれの点においても、狭義の規範論的問題との接点が見られる。


I. 法理論上の前景:制度論的実証主義

Razの初期の業績は、H.L.A. Hartの古典的先行研究である『法の概念〔The Con-cept of Law〕』(1961年)から強い影響を受けており、法の「二重の制度化」(Paul Bohannan)を継承している。規範論においてこれと対応するのが、一次規則と二次規則の区別である。規範分類のカテゴリーとしてこの区分をさらに横断するものがいくつかあり、特に義務賦課規則と権能付与規則の区別、あるいは定立された規範と実務規則の区別が重要である。

II. (法)哲学上の背景:行為理由の理論

『実践的理由と規範〔Practical Reason and Norms〕』(1975年)は、法理論におけるRazの主著である。同書は、法にふさわしい規範性の理論を定立しようとしたものであり、その中心となるのが行為理由の概念である。その中で規範論にとって最も重要なイノベーションが、「排他的理由〔exclusionary reasons〕」としての規範解釈である。さらにRazは、Hans Kelsenに依拠し、規範記述命題の理論(距離を置いた言明〔detached statements〕)を素描している。いずれのテーマについても、目下ドイツでは十分に継受されているとはいえない(この点につき、vgl. Kuch, Die Autorität des Rechts, 2016)。

III. リアリズムと懐疑主義のはざまで

Razのアプローチ全体は、リアリズムと懐疑主義との独特な並立という特徴を有しているように思われる。ここには、分析法学にとって極めて重要な背後者に(Max Weberと並んで)数えられるLudwig Wittgensteinと、Joseph Razとの知的な同質性がおそらくは浮かび上がっているのである。