刑事法への挑戦としての集団性(ボン、2019年10月18日/19日)

研究会論文集

刑法学にとってのボンは、 Hans Welzel と Armin Kaufmannという刑法学者の名とともに、現代の規範論誕生の地であると言ってよい。その意味で、規範論ワーキンググループの第2回ワークショップを開催するのに、ボンよりも相応しい場所というのはないとも言える。2019年10月18日、19日、 Konstantina Papathanasiou と Kay H. Schumann が主催した本ワークショップの目的は、規範論の観点から、「刑事法への挑戦としての集団性」について議論する点に置かれた。本ワーキンググループのメンバー以外にも、 Urs Kindhäuser と Joachim Renzikowski という規範論を語る上で欠かせない研究者からの報告が組まれ、ワークショップをさらに充実させることができた。また、フロアにも多くの参加者が得られたが、その中でも Ingeborg Puppe の参加が得られたことにより、当日の議論は一層の盛り上がりを見せた。
第1報告は、 Urs Kindhäuser による「犯罪の共同遂行における義務違反——共犯論の意味論的問題」であった。取り上げられたのは、各共同正犯者は、自分が義務に合致する代替的行動を採ればその犯罪事実を回避できるにもかかわらず、犯罪事実に寄与したということについて相互に責任を負うのはなぜかという問題であった。共同正犯者による犯罪事実への寄与を、人の集合体がなしたことととらえても、問題の解決にはならない。集合体の責任を論理的に推論することをするにとどまり、集合体の構成員の責任を推論させるものではないからである。そこから、共同正犯の不法は、共犯の不法と同じく、従属的性質を有するということが導かれる、とする。もっとも、共同正犯は、相互的共犯であるということによって伝統的な——一方的な——共犯とは区別される。そうすると、共同正犯の規範は、共同性という要素を含まなければならないことになり、この意味で共同正犯者は、単独正犯とは異なる規範に違反することになるとする。 Kindhäuser は最後に、共同正犯の規範論的分析はなおその緒についたばかりであるとした。その後、 Kay H. Schumann が、いわゆる集合的法益に関する規範論的考察を示し、ワークショップ初日は幕を閉じた。
ワークショップ2日目は、 Joachim Renzikowski の報告「帰属主体としての集合体」で幕を開けた。同報告は、帰属主体としての「人格」は実証できる対象ではなく、法の世界ないし実践哲学に属するものであるとする。この理解からすると、「自然人」と「法人」を並べて語ることは誤解を招くものであり、ここから Renzikowski は、従来の概念に代えて、「persona moralis simplex」と「persona moralis compositas」という概念を設定する。 Renzikowski は、 Kindhäuser とは異なり、特に Kant と Pufendorf に依拠して、集合体による犯罪は、集合体自身にではなく、その構成員各人に帰属されうる、との結論に至る。全体の各部分は個々の物理的人格からなっているとはいえ、個々人が全体の一部分としての機能において行ったそれぞれの行為は、全体としての行為であると同時に、個々人の行為でもあるというのである。この前提を踏まえて、 Renzikowski は個別の解釈問題の分析を行った。
Anne Schneider が取り上げたのは、「越境的関与」における規範論的問題である。これが特に問題となるのは、複数の法秩序の間で、関与者の行為を判断する基準となる評価が相互に大きく異なっている場合である。まず問題となるのが、行為規範と制裁規範の適用範囲である。ドイツ刑法3条以下により規律されている制裁規範に対して、行為規範の適用範囲は、統一的かつ法域横断的に決定されなければならないとする。そのために、原則として行為地の行為規範が適用されるとするローマⅡ規則17条の規定を用いることが推奨された。これをうけて Schneider は、様々な事例を挙げつつ、自身の構想の帰結を検証した。越境的関与の問題を規範論的に分析することで、ドイツ法による処罰範囲の拡大を防ぐことを可能にする方法論的アプローチへの展望が開けるとする。
続けて、 Markus Wagner が「刑法上の使用者責任の『具体的』行為規範」の問題を扱った。議論の前提となるのが、 Wolfgang Frisch が——繰り返し——説いてきた次の要請である。すなわち、(刑)法学の中心的課題は、その否認に基づき、制裁規範にしたがって刑法上の非難がなされるところの行為規範を、正確な形で構成することであるというのがこれである。しかし、使用者責任の実務においては、このような要請はほとんど無視されているということを、 Wagner は連邦通常裁判所の判例から例を引きつつ示した。このような実務運用は、部下が行うかもしれない不法実現に対して、使用者が行使しうる影響力を過大評価し、許容し得ない程度まで可罰性の範囲を広げるという帰結にも至りうるとする。規範論は、使用者が他にどのような行為を行い得たかを明示することを法適用者に求めるものであると、本報告は指摘する。これにより、不法実現の回避が可能であった場合でも、使用者がとり得る行為に相当の限定が設けられるということもありうるという。
昼休みを挟んで、 Inês Fernandes Godinho による報告「規範の集合性と集合的規範」が行われた。同報告は、「集合性」と規範との関係を次のように表現する。人間が共同体へと結合するという意味における集合性によってはじめて(そしてそれのみによって)規範を必要とする状態が生まれた。しかし、規範が受容されるのは、規範の作り手が、それに見合う正当性を示すことができた場合に限られる。その場合に限って、規範の作り手は、規範定立者と扱われる。「集合的規範」とは、あらゆる関与者に妥当する規範であると理解される。しかし、ここでいう関与者とは誰のことか? Godinho は、関与者となるのは「集合性」によって共同体へと結合したその構成員のみであるとする。
Luna Rösinger の報告は、「いわゆる攻撃的緊急避難において一方の利益のために他方を利用することの法的根拠」の問題を扱うものであった。同報告は攻撃的緊急避難を、法が危険を「集団化」ないし「再分配」する事例ととらえる。 Rösinger は、法哲学の知見を参照しつつ、攻撃的緊急避難において介入を受ける者の自由制約が許されるのは、自身の連帯義務に基づく場合のみであるとの結論を導く。この理解は、第1に、法益に危険が迫っており、かつその法益が自由の実現にとって大きな重要性を有するものでなければならないという帰結を、第2に、避難行為が惹起することが許されるのは、その部分について補償が可能な程度の侵害にとどまるという帰結をもたらすとする。
本ワークショップの最後を飾ったのは、近時導入されたドイツ刑法184条jを規範論的観点から分析する Stefanie Bock の報告「一緒にいったら一緒に罰されるのか?ドイツ刑法184条jにいう危険な集団への関与」であった。同報告によれば、184条jの規定は、2015年の大晦日に起こった性的侵害への立法的対応として理解される。このような事件関係からすれば、立法者がいかなる事案を処罰対象としようとしていたかは、一応理解できる。もっとも、184条jの文言や規定の構造は、極めて茫漠としており、かつ掴み所のないものであって、それゆえに、許容される行為と禁止される(すなわち処罰される)行為との限界づけに相当の困難が生じているとする。 Bock は結論として、本条は、性犯罪に関する規定ではなく、集団に関係した体系的な帰属規則であるとする。しかし、本条には重大な欠陥があるとして、 Bock は、同条の完全削除を主張する。

規範論と刑事法(ギーセン、2018年2月23日/24日)

研究会論文集

2018年2月23日、24に、ギーセンにおいて、ワークショップ「規範論と刑事法」が開催された。 Anne Schneider と Markus Wagner のイニシアティブで行われた本ワークショップは、規範論のバックグラウンドと、刑事法にとっての規範論の意義を、参加者全員で考えることを目的とするものであった。

第1報告は、 Fedja Alexander Hilliger による、 Binding の規範論における法理論的前提の検討であった。刑罰法規と行為規範とを区別する点、および行為規範は刑罰法規とは独立したものであることを認める点から、法を理念的な現象ではなく、単に事実的な現象ととらえる法実在論を退けることが示唆される一方、制裁なき法命題を認めうるような「敷居の低い」法概念が示唆されることとなった。

続いて、 Kyrakos N. Kotsoglu は、 Binding に連なる各種の規範論を批判的にとらえ、次のように非難した。すなわち、彼らの規範論は、法的に命じられる内容が、非専門家にも理解できるような行為規範の形で抽出されるという単純な理解に基づくものであり、それゆえに、現代の法秩序が要請するものや法秩序をドグマーティクによって貫徹した際に達成される状態に対応できるほどの複雑さを有していない、というのである。さらに、このような規範論は、国家と市民との関係の本質的部分を、命令と服従の関係、治者と被治者の関係と構成するものであると指摘した。

これに続いて刑事憲法学の観点から、 Boris Burghardt が、規範論の成果を批判的に評価する。彼の理解によれば、連邦憲法裁判所の判例においても行為規範と制裁規範の区別が部分的に用いられているが、その区別は、刑法上の行為規範を定立するとの決定は、その禁止・命令(あるいはそれによって保護される法益)に大きな社会的重要性があるとする評価をすでに含んでいるという点をあいまいにしてしまっているということになる。

他方で、 Laura Neumann の報告は、法理論における構成原理としての二元的規範論と、違反される行為規範の性質や賦課される制裁の種類とは、相互に無関係であるという点から論証する。ここから、規範論は、ヨーロッパ各国において、刑法と行政刑法とを統一的な制裁法へと融合させる触媒となったこと、そして将来的には、ヨーロッパにおける統一制裁法への法構成上の基礎となりうることを示す。

これに引き続く Frauke Rostalski の報告は、規範論が刑法ドグマーティクにもたらす帰結を示すものであり、その目的は、規範論に基づく犯罪行為の概念理解に基づくと、不法と責任とは区別できないということを示す点に置かれた。その理由は、行為規範違反が不法を意味するのであれば、そのような規範はそもそも、規範に従うことのできる者、すなわち責任能力者しか名宛人とすることができないのであり、それ以外の場合には、立法者の「独り言」にすぎないという点に求められた。

ワークショップ初日の最終報告として、 Milan Kuhli が法の参照指示が問題となる場合に必要となる故意との関連性の問題を取り上げた。同報告では、規範的構成要件要素と白地要素とを規範論によって一義的に区別することはできず、それゆえ故意として必要となる内容についても、規範的構成要件要素か白地要素かによって判断することはできないとする。むしろ、故意は原則として、各構成要件が参照を指示する規範(複数の場合もある)が実際に要件とするもの、およびそこから生じる法的効果と関連しなければならないとする。

当初予定されていた Jan Dehne-Niemann と Julia Marinitsch の報告が、急遽キャンセルとなったため——「ローゼ・ロザール事件」の解決についての規範論の意義に関するものであり、本ワークショップに基づく論文集には掲載されている——、ワークショップ2日目は、 Sören Lichtenthäler の異なる犯罪間の択一的認定について規範論がもたらす帰結に関する報告からスタートした。その分析によれば、択一的な有罪判決の合憲性をめぐる近時の議論において、明らかに「規範論的」と評しうる議論が展開されたが、最終的に本報告は、規範論だけではこの問題への回答は得られないとの結論に達することとなった。

続いて、 Stephan Ast の報告では、規範論に基づく詐欺罪の分析が行われ、犯罪構成要件がどのようにして行為規範へと展開するのか、その際に行為論や規範論から見て何が考慮されるのか、そしてそれらの点が解釈論上いかなる効果につながるのかが示された。

Thomas Grosse-Wilde の報告は、「英語圏の法的ディスコースにおける規範論の多様性」について概観するものであった。同報告は Bentham による行為規範と制裁規範の区別、 Hart から Kelsen の一元的規範論に向けられた批判、そして Dan-Cohen が導入した conduct rule と decision rule の区別をめぐる議論を取り上げた。

続いて、 Konstantina Papathanasiou が、 Binding の規範論を前提に、いわゆる国際刑法に関する一般的見解、すなわち、行為規範は普遍的に妥当する一方、制裁規範は刑罰適用法により限定されるとする見解を検討した。同報告によれば、このような理解は、長きにわたり国際慣習法として一般的に承認されてきた不干渉原則と整合しないものであり、それゆえ行為規範も制裁規範も、その適用範囲は同一でなければならず、また、刑罰適用法も、支配的見解が認めるような不法中立的なものとはいえないとする。

第1回ワークショップのトリを務めたのが、 Liane Wörner である。同報告は、欧州人権裁判所の判例における(ヨーロッパ化された)刑事司法の機能的効率性というトポスの「経歴」をたどり、規範論的に見たその意義を、規範内容の決定と制裁の発出との分離に求めた。しかし、可能な限り機能的効率的な刑事司法を目的としても、欧州連合と加盟国によって補完的に保障される被疑者の自由権による限界づけが存在するとした。